絞りの今とこれから
伝統産業に未来はあるか?
400年の歴史を持つ有松絞りの「今」と「これから」。
江戸初期から400年間受け継がれて来た有松絞り。しかし、残念ながら現在では、その存続が危ぶまれています。10年先、20年先、有松絞りは存在しているのか?それとも、あの個性的な柄のゆかたには、もう出会えなくなってしまうのか。今、有松で絞り製造を営むメーカーはわずか3件。そのうちのひとつ、「近喜」の近藤美規子さんにお話を伺いました。
昭和30年代に始まっていた、
有松絞りの衰退。
戦後には高度経済成長があって、みんなが豊かになって、いろんな産業が発展した時期ですね。有松絞りが衰退し初めていたというのは、何故ですか?
「洋服文化が主流になったきた、ということもありますが、一番大きな問題は働き手がいなくなってしまったことでした。絞りの作業というのはそれまで、農家の主婦の内職にほぼ全てを頼っていたんです。ところが、経済成長がやってくると、大変で、しかも給料の安い絞りの仕事をしなくても、働き口はいくらでもある。そういうこともあって、職人さんが減っていってしまったんです」
実はほぼ全てが、
海外で作られていた有松絞り。
「そこで、安価な労働力を求めて、海外へ絞り作業の受託を始めました。昭和30年代には韓国へ。ところがソウルオリンピックが開催されて、経済成長するにつれ、状況は日本と同じになってしまった。次は中国でした。でも北京五輪なんかもあって、中国での製造も行き詰まり始めてしまって…。近年ではカンボジアへの受託を開始した所ですが、上手くいくかはまだ分かりません」
絞り会館で実演しながら、
仕事が無かったおばあちゃん。
今後、国内の絞り職人はいなくなってしまうのでしょうか?
「有松の絞り会館で、絞りの実演をしているおばあちゃんが11人いるんですが、ある時ふと見てみると、せっかく絞った生地から糸を抜いて、アイロンをかけてまっさらな状態に戻してから、また同じ生地を絞っているんです。つまり、そのおばあちゃんたちにすら、仕事が無かった。もの凄く悲しかったです。これは絞り屋の責任だから、絶対に何とかしなくちゃ、おばあちゃんたちの仕事を確保しなくちゃと思って、国内加工品を作る決心をしました」
国内製の有松絞りなんて、
売れる訳が無いと言われた。
「まず、完全国内生産の絞りを150反作りました。作ったからには売らなきゃいけない。そこで全国の問屋さんや小売店さんに現状を強く訴えたんです。『国内生産の物なんて売れる訳ない』と言われたこともありました。問題は価格なんです。
国内で作ると、どうしても割高になってしまう。おばあちゃんたちには申し訳ないぐらい安くあげてもらっているんですが、それでも海外製と比べると、格段に違う。でもここで投げ出したら、日本の有松絞りがなくなっちゃう。結局、150反作ったうち、70~80反は売ることができました」
日本人って、働くことが好きなんだ。
今後それは、産業として安定するのでしょうか?
「それでも、上手く行っている訳ではないんです。でも、『ここに行けば仕事がある』という口コミが広がって、職人さんがどんどん増えて、今では100人位集まってしまいました。あれだけ海外で職人さんの確保に苦労していたのに。周りを見渡してみると、こんなに近くにたくさん居たんです。皆さん65歳~95歳位で、その位の年代の日本人って、働くことが凄く好きなんですね。仕事の依頼に生地を持って行くと両手を差し出して、頭を下げて受け取ってくれるんです。仕事を渡すと生き生きするし、病気だって直っちゃう。もうこれは、売るしかないと思って、プレッシャーで大変です」
寿命が10年のびた、
と言ってくれたおばあちゃん。
「でも、おばあちゃんたちが作る古典的な絞りのゆかたを、好んで買ってくれる若い子も、少ないけど、居るんです。『どうしてもコレが欲しい』という20代の子も居て。『じゃあそれを買ったら、絞り会館へ行って、おばあちゃんに着てる姿を見せてあげてよ』って言ったら、本当に行ってくれて、一緒に記念写真を撮っていた。おばあちゃんは『寿命が10年のびる』って喜んじゃって。若い子がそういうことをしてくれるってことは、作った人との”つながり”が欲しいってことじゃないかな、と思うんです。海外で作った製品と一番違うのは、そこなんじゃないかな、と。確かに安いことはいいことだけど、きっとそれだけで選ぶ訳じゃないんですよね」