有松のはじまり

開拓民のフロンティアスピリットが
生んだ有松絞り。

有松のはじまり

開拓民のフロンティアスピリットが
生んだ有松絞り

「何にも無いにも、ほどがある!」…400年の歴史を持つ有松絞り、そしてその産地である有松の地は、思わずそう言ってしまうほどの状態から始まったと伝えられています。「この土地をあげるから、開拓して町を作りなさい。どうやって食べていくかは、自分たちで考えなさい」。もし、そんな話が自分に舞い込んできたら、どうしますか?ワクワクする!なんて方もいるでしょうが、実際やるとなると…。その日その時、未開の地であった有松(現在の名古屋市緑区有松)に降り立った、「絞りの開祖」こと竹田庄九郎以下開拓民8名が、果たしてどんな気 持ちだったのか、今では知る由もありません。

スタートは大貧民

旧東海道の面影を残す有松
旧東海道の面影を残す有松

時は1608年、徳川家康が江戸幕府を開き、ようやく天下太平の時代 が始まる、そんな頃。江戸~駿府(静岡)~関西を結ぶ大動脈、東海道の街道沿い、有松(当時はもちろん、名前なんてついてませ ん)は、樹木が生い茂るばかりの大変寂しい土地だったそうです。 通りがかる旅人を狙って強盗なども出没するようになり、「これで はいかん」と思った尾張徳川藩、この地に新しい町を作ることにし ました。開拓民を募集したところ、名乗りを上げたのが、知多阿久 比に住む竹田庄九郎以下8名。「新しい土地で一旗揚げてやる」と いう野心があったかどうかは分かりません、しかし当初の暮らしは、 大変厳しいものだったそうです。旅人相手の宿屋として商売しようにも、すぐ隣には鳴海宿という立派な宿場町が ある、田畑を開墾するにも、村の面積は極めて小さく、農業だけでは立ち行かない。結果、近隣の桶狭間村へ農作 業の手伝いに出かけるなどして、なんとか飢えをしのぐ生活が続きました。

もしかしてビッグチャンス⁉︎
有松絞り誕生の瞬間。

絞り商の屋敷が今も残る
絞り商の屋敷が今も残る

そんな生活が何年か続いたある日のこと、庄九郎のもとへ、名古屋城築城に ともなう招集がかかります。それこそ、運命の瞬間。そこで、同じように築城の手伝いに来ていた九州のお侍さんたちと出会うのです。彼らの着物を見ると、非常にユニークな柄をしています。「これは何か」と訪ねた所、「九州の豊後絞り」なるもので、技法も極めてシンプル。「布を糸で絞り、染める」たったこれだけで、なんとも愛嬌のある柄に染め上がる。「これは、商売になる!」その時、庄九郎の脳裏に、一筋の光明が差し込んだに違いありません。有松へ帰ると早速「絞り」の技法を使って手ぬぐいを作り、街道沿いで旅人相手の小商いを始めます。今に伝わる「有松絞り」が、生まれた瞬間でした。

ついにやってきた大ブレイク!

開祖 竹田庄九郎記念碑
開祖 竹田庄九郎記念碑

誕生はしたものの、まだまだ小規模だった有松絞り。また、今と違って「絞り」の技法も非常に原始的なものでした。しかし、そのままで終わらないのが、開拓民の逞しい所。研鑽を重ねた庄九郎は、絞りの技法を使って騎馬の用具である「手綱」を考案します。戦国の記憶も新しく、今だ武道が重きを置かれていた時代ですから、需要はかなりのものになりました。ついには尾張藩主への献上を果たすに至り、これが大評判を呼びます。その価値を認めた尾張藩は、「有松絞り」を尾張の特産品として、天下に公表までしてしまったのですから!

そして、三代将軍徳川家光の時代。世に言う参勤交代が始まります。東海 道には、江戸へ向かう、あるいは故郷へ戻る大名行列が頻繁に行き交うようになり、大名たちはこぞって有松絞りをお土産として買い求め、その名 を各地で広めます。そのおかげで「有松絞り」の名は瞬く間に全国に轟 き、大ブレイク。尾張藩は「絞り」の製造独占権を有松に与え、藩の産業として公式に保護していくことを決めたのです。

大発展を遂げた有松絞り。絞商、染め屋、絞り職人などの分業体制が整い、一大産業へと成長。絞りの技法が次々に開発されていきます。そうした中、1662年、開祖竹田庄九郎はその生涯を閉じますが、その精神は確実に次の世代へと受け継がれていったのです。

おおらかで、自由闊達な有松絞り。

今では世界中でその名を知られている
今では世界中でその名を知られている

元禄時代を迎え、最盛期を迎える有松絞りですが、時代の波にのまれて幾度も壊滅の危機が訪れます。しかしその度に蘇り、今の時代にも息づいているのは、ひとえにその「開拓者精神」が受け継がれていたからなのでしょう。明治維新が起こり、東海道が寂れると、絞り商たちはその販路を積極的に外へ広げて活路を見いだしました。また、職人たちは新しい技法を次々と生み出し、魅力的な柄で人々を魅了し、明治大正とさらなる発展を遂げたのです。もちろん、昭和の戦乱にだって、負けませんでした。

ひとくちに「絞りの技術」だけで言えば、世界各地に存在します。エジプトでは4000年前から存在しますし、インドや中国での歴史はおよそ2000年。京都にも、1200年前から伝わっています。それを思 えば、有松はたかだか400年。まだまだ若い産業です。でも、だからこそ、「何でもあり」の精神で発展 を遂げて来ました。堅苦しいルールなんて、ありません。「絞りは世界に数あれど、数百種類もの技法をも つ絞りは見たことが無い」と、よく耳にします。自由で、おおらかで、どこかチャーミングな有松絞り、そ れは、様々な苦難を乗り越えて来た人間たちの魅力、そのものなのかも知れません。