絞りのくくり職人

有松絞りを作る人
その1「くくり職人」とは。

絞りのくくり職人

有松絞りを作る人
その1「くくり職人」とは。

「くくり工程」は、有松絞りのゆかたを作る上で、最も大事な工程です。しかも、「1人1技法」のスタイルのため、「その職人しかできない技術」が数多くあり、その伝承方法は「人から人へ」が昔からの習わし。今でこそ、絞り教室が開催されたり、また、絞りの技術を後世へと残す為の資料なども作られていますが、それもつい最近のこと。現在でも活躍中のベテラン職人さんたちは皆、「見よう見まね」で技術を覚えたそうです。一粒一粒、布にヒダを寄せて糸で括る(くくる)作業は、とてつもなく手間と時間がかかる為、国内での後継者の育成は難しく、現在製作中のゆかたの「くくり工程」は、実はほとんどが中国などの海外で行われているのが現状です。残念ながら数少なくなってしまった日本の職人さんへ、お話を伺いました。

今では指の形が変形してしまったという加藤さん
今では指の形が変形してしまったという加藤さん

「二の腕を触ってみて、筋肉で固いでしょ」と、ニコニコしながら話す加藤さん。一見普通のおばあちゃんにしか見えないが、実は日本に現在17人しかいないと言う”伝統工芸士”の1人。北は北海道から南は九州まで、全国へ絞りの実演に出かけることも多い。昭和10年生まれ。豊明市で育った加藤さんは5人兄弟の末っ子、子供の頃から60年以上、絞りの仕事を続けてきた。「私の小さい頃は、周りがみんなやっていましたから。母はもちろん、姉たちも、友達も全員」絞りの技術を見よう見まねで覚え、小学校3年になる頃には、それでお金を稼いでいたというから、驚きだ。加藤さんが得意とする”巻き上げ絞り”は、技術はもちろん、それと同じくらいのレベルの根気がいる。1日10時間以上作業しても、仕上がるのに1ヵ月はかかるのだ。「やり出すと、止まりません。考えなくても手が勝手に動いてくれる。左で受けて、右で回して、それだけのこと。難しいことじゃないんですよ」そう話しながらも手が止まらない。凄いスピードで動くので、素人目には何が行われているのか、理解するのは難しいだろう。そんな加藤さんだが、後継者が育たないのは寂しいと言う。「子供や孫に教えようとしても、全く興味は無さそうだし」と半ばあきらめ顔。「私はもう、絞りひと筋で行くと決めたから」と話す。仕事をしていて一番楽しい時は、「やっぱり染め上がりを見る瞬間」なのだとか。自分の絞りが素敵な絵柄になって現れる瞬間は、60年経った今でも、興奮するのだと言う。

手に込められた力が休まることは無い
手に込められた力が休まることは無い

両腕の力を目一杯使って、糸を巻き、絞る。その度に、ギュッギュッと音がして、巻き上げ台の支柱が今にも折れそうにしなる。大変な力が必要な竜巻絞りは、男性じゃないと難しいのだと言う。 「そりゃあ手は痛いがね。慣れだわ。そんなこと言っとれんで」そう話す後藤さんは、昭和9年生まれ。孫はもちろん、ひ孫もいる立派な”ひいおじいちゃん”という顔を持つ反面、東京の芸術大学へ招待され、100人近い人数を相手に、教室で教えたこともあるという。この竜巻絞り、後藤さん以外に現在では4~5人しかやれる人がいないのだそうだ。「時の流れだで、しょうがないわ」。1本およそ13m、1mにつき1時間はかかるので、完成までには約13時間。1日で全て仕上げる訳ではないが、作業している間は、力が抜けない。力を抜けば糸が緩んでしまい”不上がり”になるからだ。「甘く絞った箇所があると、そこから染料がしみ込む。そうすると、きれいな絵柄にならん」。実際に染め上がりをみるまでは、竜巻絞りがうまくいったかどうかは、分からない。だから、できあがりを見る時は、いつもドキドキする。「手を抜くと、仕上がりですぐ分かる。良い物ができると、ああいいなぁと思って嬉しくなる、悪い物ができると、あかなんだなぁと思ってがっかりする。それの繰り返し」。一発勝負なので、どうしても失敗はある、だからこそ、次にはもっと良い物ができる。失敗してがっかりした後、後藤さんは、笑うことにしている。